2026年10月22日

大切な家族の『声なきサイン』を見逃さないために。
神奈川県茅ケ崎市、アンジェス動物病院 院長 獣医師の朝岡紀行です。
犬・猫の一次診療で培ってきた総合的な視点を基盤に、
現在は馬の健康管理・ウェルネスケアの分野にも活動を広げています。
小動物から馬までを視野に入れる“総合獣医師”として、
人と馬のより良い関係づくりにつながる獣医療とケアの可能性を探究しています。
Anges Horse Wellness Care Service
Healing Through Horses ~馬を通して、人が自分らしく羽ばたく~
馬の胃の不思議な構造と、健康を守るために知っておきたい食事の話
競走馬の多くが、実は胃潰瘍を抱えていることをご存じでしょうか。
研究によって割合は異なりますが、調教中の競走馬では70〜90%、
あるいはそれ以上に胃潰瘍が認められたという報告があります。
人間でも胃潰瘍はよく知られた病気ですが、
馬の場合は少し事情が異なります。
その背景には、馬特有の胃の構造や食習慣、
そして運動との関係があります。
今回は、馬の胃潰瘍が起こる仕組みと、
競走馬だけでなく乗用馬の健康管理にも役立つ知識をご紹介します。
馬の胃には、性質の異なる2つの部分がある
馬の胃には、大きく分けて
「無腺部」と「腺部」という2つの領域があります。
無腺部は食道と似た構造の粘膜で覆われており、
胃酸から粘膜を守る仕組みが十分に備わっていません。
一方、腺部は胃酸や消化酵素を分泌する場所で、
粘液や重炭酸などによって胃酸から粘膜を守る仕組みがあります。
つまり、馬の胃には、
胃酸に対する防御力が異なる2つの領域が存在しているのです。
馬の胃潰瘍は、発生する場所によって
「無腺部胃疾患(ESGD)」と
「腺部胃疾患(EGGD)」に区別されます。
両者は発症の仕組みが異なり、治療への反応にも違いがあります。
無腺部では胃酸との接触が重要な発症要因になりますが、
腺部の胃潰瘍については、
粘膜の防御機能の障害などが関係すると考えられており、
まだ解明されていない部分もあります。
なぜ競走馬に胃潰瘍が多いのでしょうか?
競走馬では、強度の高い運動が
胃潰瘍の発症に関係すると考えられています。
馬が速いスピードで走ると、腹腔内の圧力が高まり、
胃の内容物が圧迫されます。
その結果、酸性の胃液が胃の上部にある
無腺部に接触しやすくなります。
本来、胃酸から十分に保護されていない無腺部が
繰り返し胃液にさらされることで、粘膜が傷つき、
潰瘍が形成されると考えられています。
また、競走馬は高い運動能力を維持するため、
多くのエネルギーを必要とします。
そのため、穀物などの濃厚飼料を多く給与する傾向があり、
これも胃内環境に影響します。
さらに、調教や輸送、飼養環境の変化、長時間の絶食など、
さまざまな要因が重なることもあります。
つまり、競走馬の胃潰瘍は、激しい運動だけが原因ではなく、
運動・食事・飼養環境などが複雑に関係して発症する病気なのです。
乗馬クラブの馬なら心配ない?
競走馬ほど激しい運動をしない乗用馬では、
胃潰瘍のリスクが低いと思われるかもしれません。
確かに、運動の強度は重要な要因の一つです。
しかし、乗用馬でも胃潰瘍は発生します。
例えば、馬房で過ごす時間が長く、
牧草を食べられない時間が続く場合や、
濃厚飼料が多い食事をしている場合には、
胃潰瘍のリスクが高まることがあります。
また、輸送や競技会への参加、環境の変化なども、
馬にとって負担となる可能性があります。
胃潰瘍は競走馬だけの病気ではありません。
乗馬クラブや養老牧場などで暮らす馬についても、
日常の飼養管理を見直すことが大切です。
馬は本来、一日中少しずつ草を食べる動物
馬の消化器の特徴を理解するうえで、
大切なのが本来の食習慣です。
自然に近い環境で暮らす馬は、
長い時間をかけて草を少量ずつ食べながら生活しています。
馬の胃は、ウシなどの反芻動物と比べて小さく、
一度に大量の食物を蓄える構造にはなっていません。
また、馬の胃では、
食事をしていない時間にも胃酸が分泌されています。
そのため、長時間何も食べられない状態が続くと、
胃の中の酸性度が高まり、
無腺部の粘膜が胃酸の影響を受けやすくなります。
一方、牧草を食べている間は唾液が分泌され、
胃酸を和らげる働きをします。
このような理由から、馬にとっては、
一度に大量の餌を与えるよりも、
適切な量の粗飼料を継続的に食べられる環境が重要
と考えられています。
濃厚飼料の与えすぎにも注意
競走馬や運動量の多い乗用馬では、
エネルギーを補うために燕麦などの
穀物や配合飼料が利用されます。
こうした濃厚飼料は必要な栄養を補うために役立ちますが、
一度に大量に与えることには注意が必要です。
濃厚飼料に含まれるデンプンの摂取量が多いと、
胃内の環境に影響し、
無腺部胃潰瘍のリスクを高めることがあります。
さらに、小腸で消化・吸収しきれなかったデンプンが
盲腸や結腸に流れ込むと、腸内細菌による発酵のバランスが崩れ、
消化器のトラブルにつながる場合もあります。
そのため、濃厚飼料は単純に重量だけで判断するのではなく、
デンプンの含有量や馬の体重、
運動量に応じて調整する必要があります。
馬の食事管理では、必要なエネルギーを確保しながら、
消化器に過度な負担をかけない工夫が求められます。
胃潰瘍になると、どんな症状が出る?
馬の胃潰瘍は、必ずしも
明らかな症状が現れるわけではありません。
しかし、次のような変化がみられることがあります。
• 食欲が落ちる、飼料を残す
• 体重が減る、痩せてくる
• 毛づやや全身状態が悪くなる
• 運動時のパフォーマンスが低下する
• 腹部の不快感や軽い疝痛症状がみられる
• 騎乗時に落ち着きがなくなる、嫌がる動作が増える
ただし、これらの症状は胃潰瘍に特有のものではありません。
ほかの病気や痛み、飼養環境の問題などでも起こります。
胃潰瘍を確定診断するためには、
胃内視鏡検査によって胃の粘膜を直接観察する必要があります。
症状だけで胃潰瘍と決めつけず、
獣医師による適切な診断を受けることが大切です。
胃潰瘍を予防するためにできること
馬の胃潰瘍を予防するうえで、日常の飼養管理は重要です。
特に次のような点を意識しましょう。
① 長時間の空腹を避ける
牧草などの粗飼料を十分に確保し、
できるだけ長時間食べられない状態を作らないようにします。
② 濃厚飼料の量と与え方を見直す
馬の体重や運動量に合わせて必要量を計算し、
デンプンの過剰摂取を避けます。
③ 水をいつでも飲めるようにする
新鮮な飲み水を十分に確保することも、
消化器の健康管理には欠かせません。
④ 飼養環境やストレスに配慮する
放牧や適度な運動、ほかの馬との社会的な接触など、
馬の習性に配慮した環境づくりも大切です。
すべての胃潰瘍を飼養管理だけで防げるわけではありませんが、
リスク要因を減らすことは予防の基本となります。
馬は吐くことができない動物
最後に、馬の消化器に関するもう一つの特徴をご紹介します。
馬は胃の入り口にあたる噴門の構造などから、
通常、嘔吐することができません。
そのため、飼料を一度に大量に食べたり、
胃の内容物が正常に排出されなくなったりすると、
胃が過度に拡張してしまうことがあります。
例えば、馬が飼料庫に入り込み、
大量の穀物を盗み食いしてしまう事故があります。
このような場合には、胃の拡張だけでなく、
腸内での異常発酵や重篤な疝痛、
蹄葉炎などにつながる危険もあります。
胃が著しく拡張すると、
最悪の場合には胃破裂を起こすこともあります。
大量の飼料を盗み食いした場合や、
強い腹痛などの異常がみられた場合は、
すぐに獣医師へ連絡する必要があります。
こうした事故を防ぐためにも、
飼料庫の施錠や飼料の保管方法には
十分注意したいものです。
まとめ|馬の胃を守ることは、馬らしい生活を守ること
馬の胃潰瘍は、競走馬に多くみられる病気ですが、
決して競走馬だけの問題ではありません。
馬は本来、草を少しずつ長時間食べながら生活する動物です。
その生理的な特徴を理解せず、
人間の管理上の都合だけで食事や運動の時間を決めてしまうと、
馬の消化器に負担をかけることがあります。
馬の健康を守るためには、
病気になってから治療するだけでなく、
食事や運動、飼養環境を日頃から見直すことが重要です。
馬が本来持っている習性や身体の仕組みを尊重すること。
それが、馬の健康と快適な暮らしを支える
第一歩になるのではないでしょうか。

執筆者:朝岡紀行(獣医師)
・アンジェス動物病院 院長
・Anges Horse Wellness Care Service 主宰
犬・猫のホームドクターとしての一次診療に加え、
現在は馬の健康管理・ウェルネスケアにも取り組んでいます。
乗馬クラブや牧場における健康管理、飼養管理やケア体制への助言、馬の臨床獣医師との連携など、
現場の課題に寄り添いながら、新しいウェルネスケアの形を育んでいます。
私が目指しているのは、
「犬猫の一次診療動物病院院長 × 馬も診る総合獣医師」として、
犬・猫に加え、馬の健康を支えることを通じて、
人と動物がより健やかに共生できる社会づくりに貢献することです。
犬や猫、馬に関わる皆さまと知見を共有し、
新しい価値を共に創っていけることを楽しみにしています。
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をコンセプトに、人と馬のウェルネスを育むことを目指す取り組みです。
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